「恋の道行き」:/ 本編沿い / 2期最終回後のフェルトの日記 / ライルも少し

12月13日

 いつかあなたが目を覚ました日に、いま起きている出来事をうまく説明できないと困るので、今日から日記をつけることにしました。日記と言っても、ゆっくりつけている余裕はとてもじゃないけどないので、自分が忘れないようにするための、メモ書きです。

 今日、ラッセさんがティエリアをトレミーに連れて帰ってきてくれました。どうやら連邦軍の先遣隊がまもなくあの宇宙母艦の調査にやってくるようです。私たちもこの宙域を離れ、避難しているラボのメンバーと合流することになりました。だから今、トレミーはラグランジュ2にはいません。

 ティエリアの体を抱いた時、彼が死んでしまったという気持ちが、一瞬湧きませんでした。無重力に浮かぶ彼の体は小さく、軽く、感触などないように感じました。まるでいまにも顔を上げて、「フェルト、いま何時だ。僕はどれくらい寝てた?」なんて、組織再建のために寝ずに仕事をしていた頃と同じような台詞を、私に向かって言い出しそうでした。

 けれど、痛々しく割れたヘルメットから覗く彼の死に顔を見てようやく、悲しみで体が内側からじわじわと冷え固まっていく感覚が、久方ぶりに私を襲いました。ティエリア。私の大切な家族。あなたがいなければ乗り越えられかった艱難がどれだけあったでしょうか。彼にとって肉体の死は落命とイコールではない。意識データはヴェーダと共にあり、いまこの時も私たちを見守っている。頭でそう理解しようとしても、なかなか上手く飲み込めません。

 開かれたままの彼の瞳を、そっと閉じたのはスメラギさんでした。彼の体はいま、宇宙葬のための棺に納められ、ブリーフィングルームに安置してあります。あなたが目を覚ましたあとで、みんなで揃って、彼を送り出せるように。

12月14日

 トレミー左舷のウイング部に、システムエラーが発生。航行に問題はないものの、ブリッジからの操作を受け付けない状態。原因は不明、現在調査中。ミーの外装補修の進捗状況は、七〇パーセントと言ったところ。

12月16日

 ウイング部のリグレッションテストは完了。電源復旧時の設定にミスがあったと推測される。他にも急ぎ対応すべきところがあるのに、そちらに人員と時間が割かれてしまった。カレルもフル稼働しているが、それでも思うように補修が進んでいない部分がある。スメラギさんから、無理せず、作業の優先順位を明確にするよう指示を受ける。

12月17日

 今日はよいニュース。ロックオンの意識が戻り、アレルヤは医療カプセルを出ることが決まりました。一足先にカプセルを出ていたマリーさんとアレルヤと私で、三人で昼食。食堂の席について食事をするのは三日ぶり。

 地球のマスメディアでは連日、アロウズが行なってきた粛清行為と、連邦政府の圧制的な情報統制を批判するニュースが流れています。アレルヤが言うには、これまでヴェーダによって秘匿されてきた彼らの暴挙が、私たちがそれを奪還したことによって、ダムが決壊するかのごとくメディアに流出しているのだろうとのことでした。連邦大統領は連日、議会で糾弾され、厳しい立場に立たされています。彼が逮捕されるのは時間の問題かもしれません。

12月19日

 夕方ごろ、ミレイナの様子がおかしいと思ったら、三十八度の高熱がありました。寝ずの作業で体調を崩してしまったのです。昨日、彼女に火器管制の調整を指示したのは私です。火器管制など、戦いが鎮静化した今となっては急を要する作業ではありません。スメラギさんから、仕事の優先順位をつけるようにと言われていたにもかかわらず。

 苦しそうなミレイナをリンダさんに託した後、一人気持ちのやり場をどこにやったらいいのか、分からなくなってしまいました。ブリーフィングルームに行き、ティエリアに会いに行きました。こういう時、たまらなく彼の言葉が欲しくなります。冷凍保存された彼の遺体のそばにしゃがみこんで、しばらくそのままじっとしていました。

 ロックオンは起き上がるのがまだ少し辛そうです。隣に眠るあなたを見て、「ちょっと寝すぎじゃないか」とこぼしていました。私も同意見です。

12月21日

 アロウズの最高責任者、ホーマー・カタギリ氏が、ユニオン領ハワイ州にある私邸で自死したという速報あり。

12月22日

 ミレイナはすっかり良くなりました。私が無理をさせてしまったせいと反省していましたが、彼女はシフトに穴を開けてしまったことをひどく気にしていました。そんなこと、ミレイナが気にする必要なんて全くないのに!

 ロックオンは医療カプセルを出て、自室での療養に切り替わりました。カプセルを出たと言っても、体調は万全とは言えず、右目は赤く充血したままです。それでもブリッジの仕事を手伝うと言ってくれたのですが、彼の体のことを考えて、丁重に断りました。

 何か欲しいものはあるかと聞くと、アイルランド産のスコッチ、と即答。「フェルトも今度、一緒に飲まないか?」と言われたので戸惑っていましたが、よくよく考えたら私は今度の誕生日に、成人を迎えるのでした。

12月23日

 アレルヤがラグランジュ1のコロニーに、食糧の買い出しに行っています。刹那もなにか食べたいもの、ある?

12月24日

 アロウズの撤退に伴い、中東各国の暫定政府は解体。同時に、長く公式には行方不明とされていたマリナ・イスマイール皇女が、アザディスタン王国に突如帰国したとのニュースが、センセーショナルに報じられる。

 きっとこれは、彼女が国を取り戻すための小さな第一歩に過ぎないのでしょう。マリナさんの本当の戦いは、これから始まるのかもしれません。

12月27〜28日

 アレルヤがトレミーに戻って来て、久しぶりにみんなで集まって食堂で食事をしました。遅いクリスマスと言うことで、小さなケーキまで買って来てくれました。

 0時をすぎた頃、スメラギさんとロックオンに、スコッチを一杯だけもらいました。私がお酒を飲むなんて、信じられる? あなたがここにいてくれたらいいのに。

 炭酸水で割ったウイスキーは苦くて、一口飲んだだけで頭がくらくらしました。

12月30日

 今日、医務室にあなたの様子を見にきたら、突然私宛てに、ヴェーダから通信が入りました。驚いて開いてみれば、あなたの現在のバイタルや脳量子波の状態を事細かに分析したデータでした。データを注意深く読んでみると、あなたの体調はすでに快方に向かっており、もう目を覚ましていても全くおかしくない時期のはずだ、と言う趣旨が読み取れました。無駄のない緻密な資料で、……何か不思議と、ティエリアの仕事ぶりを感じました。

 ……眠り続けるあなたの顔を見つめながら、今日も思うことはただ一つ。

 あなたと言葉を交わしたい。

 声が聞きたくて、たまりません。


 *


 俺はずいぶん長い夢を見ていたような気がする。どんな夢だったのか、なぜか思い出せない。

 しばらく医務室の白い照明に目が慣れなかった。医療カプセルのカバーが、俺の覚醒に応えてするすると開いていく。

 どうやら生きている。トレミーのこぎれいな医務室を見渡して、その事実を静かに受け入れる。全身の筋肉が強張り、思考は鈍く、薄く頭痛もあった。

 それでも起き上がろうと考えたのは、すぐそばに彼女の気配を感じていたからだ。

「……フェルト」

 かすれた声でその名を読んだ。医療カプセルのすぐ外側、簡易的な小さな椅子に、彼女は腰掛けていた。けれど眠っている。そばの壁に頭を預けて、熟睡に近い。

 ゆっくりと上体を起こして、彼女の顔を覗きこむ。毎日俺の顔を見に来ていたことは脳量子波を通じて知っていたが、実際にこの目で見る彼女は、ずいぶんと疲れているように見える。頬は白く、ふんわりとウェーブのかかった豊かな髪もわずかに乱れている。トレミーの補修作業とヴェーダ奪還に伴うシステム周りの調整で、あまり休めていないのかもしれない。

 彼女だけじゃない。夢うつつながら、親しみのあるクルーたちが代わる代わる俺の顔を覗きに来ていた記憶がある。みんな無事だ。トレミーも。その事実を改めて噛み締めると、安堵の感情が身体中に広がっていく。

 俺は床に素足を下ろすと、慎重に立ち上がった。こんなに長く医療カプセルに入っていたのは初めてのことで、一抹の心配はあったが、どうやら身体能力に衰えはないようだ。背筋が伸び、手足の先まで血が巡っていく感覚が心地よい。

 滑らかな壁にもたれた彼女の頭が、わずかにずれ落ちる。このままでは椅子から落ちてしまうのも時間の問題だろう。

 ……できる、と感じる。

 多分、なんの問題もなく。

 あまり大した考えもないまま、俺は腕を伸ばしていた。

  *

 ライル・ディランディが日課となった医務室への訪問を果たすと、そこにはにわかに信じがたい光景が待ち受けていた。おいおい、うそだろ。思わずそう悪態をつきたくなるのをかろうじて堪えて、部屋の奥に目をこらす。

「……ロックオン」

 この数週間医療カプセルの中で眠り続けていた僚友が、彼にしては珍しく和らいだ表情でライルのコードネームを口にする。刹那にとってはあの激闘以来の邂逅であるから、生きて再会を喜ぶ気持ちがあるのだろう。無論、ライルとてその気持ちは同じだ。

 けれど医務室の医療カプセルの傍らに立つ刹那の姿は、ライルにその喜びを忘れさせるほどに異様であった。

「なにしてんだ、お前……」

 ライルの言葉に、刹那は我に返ったように平時の無表情に戻った。そして自らの腕の中の少女に視線を落とした。ピンク色のふんわりとしたロングヘアーが、微重力の中でゆるやかに揺れている。

 フェルト、とライルは少し心配になって、刹那に横抱きにされた彼女の顔を覗き込む。少女は男の腕の中で体を丸め、青白い頬を医療着に寄せて瞼を閉じていた。その寝息は穏やかで、苦しそうなところもない。どうやら本当に眠っているだけのようで、ライルは胸を撫で下ろす。

 万事十全とはいえない状態での航行、人手の足りない中でのシステム構築、そしてティエリア・アーデというかけがえのない仲間の喪失。目まぐるしく変わっていく状況に翻弄されながらも、なかなか目を覚まさないこのマイスターに彼女が心を砕いていたことを、ライルは知っていた。そして、ライルを含むクルーたち全員が、不安をかき消すかのように仕事に打ち込む彼女を、どこか危うく感じていたことも。

 大方貴重な休憩時間を削って、彼女は刹那の様子を見に医務室を訪れていたのだろう。不安定な体勢でも器用に寝入るその寝姿に、彼女の生真面目さをますます感じとる。

「仮眠室まで運ぶ」

 生真面目といえばこの男とてそうだ。傷が癒えたばかりの体で自ら彼女を抱えようとする気概もそうだが、目的だけをライルに告げるその口調には、この後に及んでなお朴訥としたものがある。

「分かってるよ」

 だがライルは肩を竦めながらも素直にそれに応じた。両手が塞がっている刹那に代わって、扉のロックを解除したり、彼女のために快適な寝床を用意してやる人間が必要だ。

 トレミーの廊下を進みながら、自らのやや後ろに控える刹那の横顔を、ライルはちらりと盗み見る。思ったよりもずっと丁寧な仕草でフェルトを運ぶ青年の姿に、妙にむず痒いものを感じている自分に気が付いてしまう。彼女を抱く刹那の手の優しさには、まるで少しでも動きを誤れば壊れてしまう、ガラスか何かで出来た宝物を運んでいるかのような丁重さがあった。

 以前、刹那と出会ったばかりの頃、低軌道ステーションでスメラギの手を無理やりに引いていたあの時と……全く状況が異なるとはいえ、つい照らし合わせて考え込んでしまう。

「……いじらしいじゃないの」

 独り言めいた声色で放たれた言葉は、しっかりと当人たちの一人の耳に届いていた。「何がだ」と聞く刹那に、ライルは笑いながら首を横に振る。

「いいや、なんも。……さ、仮眠室だ」

 扉のロックを解除して、壁のパネルに触れて室内灯を灯す。二段ベッドが二つ、左側の壁に沿って備え付けられている。その反対側の壁には収納棚があり、寝具の類はそちらに納められていたはずだ。ライルが毛布を取り出している間、背後の刹那は手前側の二段ベッドの下段に、ゆっくりと彼女の体を横たえた。

「……ん……」

 わずかな衣擦れの音とともに息の漏れる声が聞こえて、ライルは振り返る。男に抱かれたフェルトの大きな翡翠色の瞳がゆっくりと開かれる。とろりとした瞳が、今まさに彼女の体を柔らかなベッドに横たえようとした男の顔を間近で捉えている。

「……せっ……! 刹那……!」

 何度かその瞳が瞬いた後、彼女の顔がこれまで見たこともないくらい真っ赤に染まったのを、ライルははっきりと見た。到底言葉にならないような声を上げながら、刹那の腕の中で懸命に身をよじる姿も。

 起きたのか、と肝心の刹那は頓珍漢に呟く。その様子に心底呆れ返りながらも、ライルは刹那に毛布を手渡してひらりと手を振った。「お邪魔みたいだから、俺はとっとと退散するよ」と。

 その言葉に怪訝そうな目つきを返す刹那も、真っ赤な顔で口をぱくぱくとさせるフェルトの助けを請うような視線も無視して、仮眠室を出る。

 どこか不格好でぎこちなく、脇が甘くて、愛おしい。そんな彼らの恋の道行きを、微弱ながら見守ってやろうという、年長者としてのささやかな思いを携えながら。

おしまい

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