「賢者の目覚め」:本編沿い2期後 / 刹→フェル / オ●ニーに関するしょうもないギャグ


「ん…そうだね。ま、一発やっちゃおうか」

 電子カルテを見つめながら、眼鏡の中年男が事もなげに言う。

「…?」

「レイモンド、やるって…何を」

「何って、決まってんでしょ。精液採取」

 隣に座るイアンが俺の代わりにその問いを主治医にぶつけた直後。メディカル・ルームの空気がぴしりと凍りついた。…主には俺が。

「ダブルオー、クアンタ?だっけ?あれのシステム構築にキミの遺伝子情報がいるワケだけど」

「ああ、そうだ。イノベイターの反射速度に対応するため、刹那の遺伝子情報をクアンタのAIに組み込む必要がある」

 イアンがダブルオークアンタの名を聞いて誇らしげに答える。彼が今、技術屋としての最高の知恵を絞って開発している機体だ。俺だって誇らしい。だがそれよりも気になることがある。

「どうやら、イアンが欲しいって言っているこのデータはさ、髪の毛じゃ測定不能みたいなんだよねえ。イノベイターってのは、フツーの人間よりも妙に頑なに出来てるみたいだね。その辺もめちゃくちゃ興味深いんだけど、とりあえず手っ取り早い方法ってことで」

 そう言いながらいけしゃあしゃあと、この医者はごそごそとデスクの引き出しを漁って。

「キミさ、十分あれば出せる?」

 プラスチックケースが入っていることが伺える、微かに膨らんだ袋を俺に差し出したのである。  ひく、と隣のイアンの顔が引きつり、周りで働く何人かの男たちも吹き出すのを必死にこらえている。イノベイターだから分かるとかそういうレベルでなくあからさまに分かる

「あ、若いから五分もあればオッケーか。奥の部屋、今空いてるから使えるよ」

「レイモンド、それはさすがにだな」

 イアンがフォローに入りかけるが。

「端末も置いてあるから。AVとか観てもいいよ。ほらこの基地、そういうのの検閲やたら厳しいじゃない?ネットも別回線組んでるから問題ないし。履歴は消しといてね。キミの趣向知りたくないし」 

「…少し時間をもらいたい」

 ようやく言葉を紡いだが、地の底から聞こえてくるような声を出した自信はあった。だがこのヤブときたらけろっとした顔で。

「あ、そう。出したらすぐに持ってきてね」

 そして、マスターベーション以外で出された精液では、検査結果に支障をきたすこともあるようで。

「悪いけど、ゴムに出したやつを入れるのはNGだから」

 イアンとその周りがもうそのくらいにしてやってくれという顔をしているのを感じる。俺だってそう言いたい。

「セックスの途中で出すのも、他人の体液が入る可能性があるからダメ。…あ、パートナー、いなかったっけ、ごめんごめん」

 そう言って真顔で俺を見上げる眼鏡を今この場で叩き割ってやろうかと考えたが、今も格納庫で俺を待っているクアンタの顔が脳裏に浮かんでやめた。


 *


  にやにやと絡みついてくる視線を、俺はなんとか無視しようとしたのである。

「聞いたぜ、刹那」

 なぜ一番知られて欲しくない人間に、こうも真っ先に伝わってしまうのか。それともこいつがただ単に地獄耳なのか。恐らくは後者である。

 ライル・ディランディはさも面白そうな口調で、俺に声をかける。

「メディカル・ルームで一発出せって?ドクター・レイモンドもすげえ物言いするなあ」

『アケスケ!アケスケ!』

 ふよふよ、ころころと漂いながら、オレンジハロがそれに続く。やかましいと思いながらも、お互い向かう先は同じ格納庫である。通路を変えることはできない。ライルはいかにも面白い遊び道具を見つけましたと言わんばかりの顔で、だらしない顔で俺を見つめていた。ガンダム・サバーニャは先日すでにロールアウトしており、火器管制の細々とした微調整を残すまでだ。とどのつまり、こいつは暇なのだ。

「で、どうすんの?刹那」

「…………」

 やるしかいないだろう。

 ダブルオークアンタのためだ。

 しかし、昨日の夜はとてもじゃないがそんな気分になれなかった。

 あの医務室での出来事の後、すぐに整備に入り、昼食の後は皆でミレイナの試作クッキーの味見を手伝い。午後はミーティングにフラッグの操縦訓練に出ずっぱり。調子が良かったからその後にトレーニングルームで筋トレ。たっぷり体をいじめてから自室に戻り、机の上に鎮座していた袋を見てそれが何かと思い出した時、思わず「勘弁してくれ」という気持ちになった。シャワーを浴びたら、その日はもうベッドに直行だ。

 そして今日。さすがに二晩持ち越すわけにはいかない。あのヤブにまた小うるさく言われるのも耐えられない。やるしかないのだ。

「オナニーするんだったら、オススメのあるけど?」

 どうせろくでもない類のAVだろう。俺は無視を決め込むつもりだったが。

『ハロシッテル!ハロシッテル!』

 ライルの隣のオレンジ色のAIロボがそれを許さない。

「ハロ」

『セツナ!エッチナノ、ミナイ!エッチナノ、ミナイ!ムカシカラ!』

「え、そうなのかハロ。そこんとこ、もちょっと詳しく」

 ロックオンが芝居がかった口調で、オレンジ色の相棒を覗き込む。ふよふよ、ころころ。もはやソレスタルビーイングでは古参と呼ぶべきこのオレンジ色の機械は、恐ろしいことに「忘れる」という古参の美徳的概念がない。それはつまり。俺が十四そこらの頃のことすら、昨日のことのように覚えているということだ。

『ロックオンガ、イツモシンパイシテタ!』

「なるほど、兄さんが?」

『セツナニ、エッチナノ、ミセヨウトシテタ!』

 ライルがものすごい勢いで吹き出して、それから腹を抱えて笑い出した。 「ハロ、いいからちょっと黙れ」

 ふよふよころころするハロを俺は鷲掴みにし、軽く前方に押し出す。無重力に乗って、ハロはどこか楽しそうに、 『ア〜〜〜〜』 と叫びながら飛んで行く。

「に、兄さんがお前に性教育しようとしたワケ?」

「うるさい」

 俺はからかいにアイスブルーの瞳を細めた男を完全に突き放して、壁を蹴った。


 *


  確かに、俺は自慰行為というやつをしたことがないが。それでも俺は不全ではないと思う。戦闘で気持ちが昂った後にそういう現象が起きることも、ないことはないし。出すということがどういう感覚かも、時々生理現象として起きるから、まあ知っている。だが自分から触るとか、女性の裸を見てそういう気分になるのとは、また別の話だ。

「刹那」

 ライルの「もっとイジらせろ」と言わんばかりの視線を完全に無視した、格納庫からの帰り道。ピンク髪のオペレーター、フェルト・グレイスに廊下に突然声をかけられた。

「フェルト」

 突然声をかけられたこともそうだが、俺は彼女の姿が平時と違うことに若干の驚きを覚えた。見慣れた制服姿ではなく、私服だったのだ。胸元の少し開いた白いブラウスに、ぴったりとした黒のスカートを履いている。

「今日は非番か」

 俺の前で足を止めたフェルトの髪が、ふわりと無重力を漂う。

「うん。ついでにコロニーに日用品の買出しに行ってきたの」

 それはもう非番ではなく野暮用なのではないか。だがいかにも彼女らしい過ごし方だとも思う。ふわり。反動でまだ彼女の髪が揺れている。いつもひとまとめにしている髪が今日は下ろされていることを、俺はその時ようやく気付いた。鼻先を花のような、石鹸のような髪の匂いがくすぐったからだ。

「刹那…その、大丈夫?」

 フェルトは俺の顔を見上げると、おずおずと心配そうに口を開いた。

「何のことだ?」

「何か、悩み事があるんでしょう?さっき小型艇で戻ってきた時に、ロックオンがそう言っていたの。深刻な悩みだって」

 あの巻き毛あとで一発ぶん殴ってやろうか。

 本気で心配してくれている様子の彼女の瞳に、俺はこれ以上のない居心地の悪さを覚える。

「…大したことじゃない」

「本当に?」

「ああ。大丈夫だ」

 これが本当に大したことではないのだから、なんと心苦しいことだろうか。俺はそう言って彼女の脇をすり抜けようとしたー…が、すれ違いざまに彼女に服の裾を掴まれて、今度こそ驚いた。


「…刹那の『大丈夫』は、昔からあんまり、あてにならないから…」

 フェルトは翡翠色の瞳で俺を見上げている。胸元がやや開いたブラウスから、細い首筋と、鎖骨が覗いていた。

「だから…私が刹那にできることがあったら、何でも、するから」

 彼女はそう言うと、少し照れたよう俯いて。じゃあ行くね、と踵を返して自室へと去っていった。





  自らの性の象徴であるそれを握りしめ、柔くしごく。手の内で少しずつ硬さと質量を増していくそれを、俺は自分のものではないかのように見つめていた。こういうことだけなら性的な興奮がなくても自然現象として起こるのだということを、知識として俺は知っていた。搭乗時の振動による不可抗力の勃起は、世界のMS乗りに普遍的な悩みだ。

 常夜灯だけが控えめに灯る自室のベッド。視界の端の机の上には、透明な蓋つきのプラスチック容器。目測で直径十センチ、深さ十五センチといったところだ。…例え無事に出すことに成功したとしても、こんなには出ないだろうと思うのだが。

 あっという間に大きさを増したそれを右手に握ったまま、俺は困り果てていた。ここまではいい。そう、ここまでは。

 俺は息を吐いて、はるか昔の記憶を呼び起こす。あの巻き毛の双子の、お節介な兄の方。あいつが一度、『青少年のためのマスターベーション』なる本を、親切丁寧に俺に朗読してきた時のことを。

『目を閉じて』

 …目を閉じて。

『深呼吸して、リラックス。副交感神経を優位に』

 …深呼吸。

『腹の下に意識を集中させるんだ。ヨガみたいに』

 この辺りがよく分からないが、とにかく意識をそれに向けてみる。自分ではほとんど意識したことのないその器官を。

『そんでもって、好きな子のことを考える』

 ここだ。問題はここなのである。

『その子が自分にキスしてくれたり、抱きしめてくれたりするところを想像する。幸せな気持ちになるだろ?』

 ロックオン・ストラトス。

 残念な話だが、全くならない。

 十四の俺がどんな反応していたかは、よく覚えていないが、恐らくはそう答えていたことと思う。

 それでもってそのタイミングで、スメラギ・李・ノリエガに同室の解除を嘆願しに部屋を出ていたと思う。

『その子がお前に微笑みかけてきて。今日は好きにしていいよって言ってきたとする。どうよ?』  

 ふよふよ、ころころ。

 そうだ。あの時もロックオンの隣に、オレンジハロが浮かんでいた。

 ふわふわと。

 ピンク色の髪が浮かぶ。



「……なんで」

 思わず呟いていた。右手で握ったそれの質感が、今までとは確かに違う感覚を帯びていた。

 彼女の髪の匂いが、何故だかどうして、はっきりと呼び起こせる。海馬に残るあの香りが、脳を刺激して、何らかの物質を出しているのを感じる。

 そして、ぬるり、と。

 自らのそれから透明の液体が分泌されたのを、俺は生まれて初めてこの目で見た。こういうのが出るのも、知識としては知っていたんだが。初めて見ると少し怖気付く。そして不思議なことに、そのぬるりとしたものを潤滑油代わりにしてみると、手の内のそれはさらに硬さと質量を増したのだ。  

 もう一度、彼女の髪の匂いを思い起こしてみる。石鹸っぽい。でもそこまでアルカリ性が強い感じではなくて。それに花みたいな、柔らかい感じの何かがプラスされていて。もっと近くで嗅ぎたいと思って、俺は空想の中の彼女に近づく。胸元が少し開いた白いブラウスから、細い首筋と、鎖骨が覗く。さらに髪に鼻を寄せてみれば、…思った以上に、強く濃い香りが、あっという間に脳を支配し、感覚を麻痺させていく。

(私が刹那にできることがあったら、何でも、するから)

 どうして、彼女が俺に言ったあの言葉が、突然頭に浮かんだのか。

『その子が自分にキスしてくれたり、抱きしめてくれたりするところを想像する。幸せな気持ちになるだろ?』

 ああうるさい。集中できないからやめてくれ。

 だがその言葉のおかげで、頭の中の空想が一気に加速した。

 彼女が俺を見上げている。髪に顔を寄せられて、少し困ったように、赤らんだ頬と潤んだ瞳で俺を見ている。俺の頬に手を添えて。…柔らかな唇に口付けられ、細い腕が俺の首と背に回る。彼女の豊かな胸が、俺の腹の上くらいの位置に、ふよふよと、けれど確実な質感を持って、当たっている。 

(刹那、…私、何でもするから)

 つるつるとした絹糸のような響きを持つ、彼女の甘い声が。

 俺にそう囁く。

 ベッドの上で。白いブラウスのボタンを自ら外して、タイトスカートから覗く艶かしい足が俺を誘うように。

(…好きに、して)

「…っ…フェル、ト」

 吐息とともに、俺は彼女の名を呼んでいた。そうして。

「…………」

 呼吸が乱れていた。激しくしごきすぎたせいなのか、射精による疲れから来るものなのかは分からない。前者だったら鍛錬が足りないなという気もする。だが今はそれどころではない。右手のひらに吐き出された、べっとりとした粘度の高い白色の液体を見て、俺はしばらく呆然としていた。出た。なんだか分からんがすごい量が。

 液体をこぼさないように細心の注意を払い、それから目を逸らさずに俺は左手で机の上の容器に手を伸ばす。容器の中に今しがた出したものを無事に収め終えた時、何とも言えない虚無感があった。  これが俗に言う賢者タイムというやつか。

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