「ある降伏の記録」:本編沿い / モブ視点刹フェル / 性に奔放な刹那さん

 

 根源的な部分で好きになれない人間というものがやはり世の中には存在していて、俺にとってはそれは、刹那・F・セイエイという男だった。

  このことを他の人間に吐露したことはほとんどない。人の悪口を簡単に吹聴すべきものではないというのももちろんだが、悲しいことにたいていの人間は俺のこの意見に同調してくれない。程度の差はあれ、この組織に属するほとんどの人間は、あの寡黙な男のことを、おおむね好意的に見ているようなのだ。


  俺たちの誇るスペースシップ・プトレマイオスがこのベースに帰投するたび、青と緑と橙と紫のプライベートカラーをまとった四人のマイスターたちがこのデッキに舞い降りるたび、俺たちは感嘆の声を上げて彼らを出迎えた。とりわけ組織の要である永久機関、太陽炉を二つ搭載したフラッグシップモデルに搭乗する刹那・F・セイエイへの好奇と期待の熱気はひとしおで、さらに四年前に比べて男っぷりも格段に上がっているときているものだから、彼はベースのどこにいても雪の日のカラスのように目立っていた。

  ダブルオーガンダムは開発段階のシュミレーションで、すでに誰もが息を飲むほどの性能を叩き出し、エンジニアである俺たちは興奮とともに一抹の不安を感じてさえいた。

「この機動性に、身体にのしかかるとんでもないGに、耐えられるパイロットが果たして世界に何人いるだろうか?」と。

 とはいっても、当時開発の中枢を担っていたイアン・ヴァスティやティエリア・アーデ、みな旧プトレマイオスの実働メンバーだー…の意見は合致していて、その意見というのは、やがて戻ってくるであろう刹那・F・セイエイでしか、この特別なガンダムのパイロットになり得ない、というものだった。

  俺から言わせてみれば、馬鹿げた希望的観測だ。確かにGN-001、エクシアに搭乗していた頃の刹那・F・セイエイは、データだけ見れば高いG耐性を誇るガンダムマイスターだった。当時はまだほんの子どもだったが、四年経った今ならば、体格の成長も相まってさらに高い適正数値を叩き出すのは間違いない。だがたった一回の起動テストのために、俺たちエンジニアがどれだけ際限ないシステムチェックを余儀なくされていると思っているのか。そしてどれだけ苦労してシュミレーションを重ねても、肝心のパイロットがその場におらず、そもそも当人の所在も安否も知れたところではない。それならばさっさと次のマイスターを探すのが組織運営として適切な道ではないだろうか。

  内心そんな不満を感じてはいたが、実際のところ俺たちエンジニアがその考えを露わにすることはほとんどなかった。ヴェーダのバックアップを失ったソレスタルビーイングの組織能力は壊滅的な状況で、俺たちはどんな時も念密な話し合いによる意識共有とともに慎重に仕事を進めていかなければならなかった。かつては超高性能コンピュータの完璧なマネジメントの下、機械的な分業を行なっていた俺たちも、時には熱い議論を交わし、互いを尊重し合うことで、なんとかこの先の見えない開発を乗り越えようと奮闘していたのだ。

  だが結論から言えば「その時」は起きた。四年間という空白の後、刹那・F・セイエイが突然組織に舞い戻り、至極当然のことのようにダブルオーガンダムのパイロットとして内定したのだ。そして血の滲むような苦労に苦労を重ねたツインドライブ・システムも、彼が所持していたGN-001の太陽炉を使用することで、あっけなく安定駆動を実現したというではないか。その報告をプトレマイオスにいるイアン・ヴァスティから受けた時は、嬉しさ半分、悔しさ半分の、なんともやりきれない複雑な思いがあった。だがその時はまだ、まだハイスクールにいるような子どもだった頃の刹那・F・セイエイの姿しか知らなかったこともあり、そこまで彼個人を嫌悪するまでには至らなかった。

 …四年という歳月を経て、彼が再びベースに現れたその時までは。




 「あなたって最高」 

 ああ、まただ。

 廊下を進んでいた俺は曲がり角に差し掛かった瞬間にぐっと身を潜めた。壁に背をつけ、息を殺して、心の中で盛大なため息をついた。声の持ち主は多分、ミス・レイチェル・ヴァンスだ。遺伝子工学の博士号を持つブラウンの髪の白衣美人。卒のない有能な仕事ぶりで、スタッフからの信頼も厚い。

 「ね、ここを出発するまでにもう一回…」

  いつだってクールな彼女が、あんな甘い声を出すなんて。いつもなら相手は誰だろうと気を揉むところだろう。だが先ほど角を曲がりかけた一瞬で、彼女が壁に押し付けている、あのセクシーな褐色の肌と黒い髪とを、悲しいことに俺はすでに認識してしまっていたのだ。 

「いいでしょう?」 

 そう囁く彼女の艶っぽい声を振り払うように、俺は渋い顔で首を横に振った。唇と唇が触れ合うリップ音など聞こえないふりをして、そそくさと来た道を戻った。本当に馬鹿げている。認めたくはないが、この刹那・F・セイエイという男は末恐ろしいほど、女によくモテるのだ。 


  相手がレイチェルひとりだったらそこまで大きな問題ではない。キャシー、リー・シュンリン、エイダにサラ、…それから洗濯係の、名前も知らない女の子。俺が目撃しただけでも片手で数えられないほどいる。それもプトレマイオスがベースに戻ってくるたびに取っ替え引っ替えだ。ダブルオーガンダムの強烈なGに耐えうる強靭な肉体と、ちょっとやそっとで気を飛ばさない精神力を持つこの青年は、戦場では驚異的な操縦能力で敵を駆逐し、そうしてベースに戻れば人種も年齢もさまざまな女と交わっている。そして俺の悲運は、その男女の甘い行為に、断片的に何故かよく出くわしてしまうというところだ。大抵は奴が女の子の部屋に出入りする場面が多かったが、前述した洗濯係の女の子の時にいたっては低層階の乾燥室でまさに行為の真っ最中だった。ロープに吊るされた無数のシーツの森の中で、二人は立ちながらまるで野生動物のように交わっていた。 

 あなたって最高。 

 思えばその時も、女の子は恍惚の中、奴に向かってそう囁いていた。おそらくセックスの腕前もなかなかのものなのだろう。( パイロットという生き物は往々にして、セックスがものすごく上手いか、ものすごく下手かのどちらかに寄る、極端な生き物なのだ )

  刹那・F・セイエイがうまくいなしているのか、それとも女性たちがうまくやっているのか( おそらくは、というか間違いなく後者だ )、このことは幸か不幸か組織の他の連中には全く知れていない。体だけのライトな付き合いなのだろう、彼女たちが彼を巡って互いに険悪になっている様子もない。これは勝手な推測に過ぎないが、有能で美しい女性たちの間で刹那・F・セイエイが「セックスがうまい男」として情報がシェアされているかのような気配すらある。 

 そして刹那・F・セイエイは、おそらく彼女たちの要求のひとつひとつに、忠実かつ確実に応えているに過ぎないのだ。そうでなければ、あの朴訥とした物言いの男が、あそこまで多くの女性と性交渉の関係を築けるとは思えない。 

 女性と二人でいるときの彼は、決して声を上げず、ただ集中して目の前にある作業を黙然とこなしているだけのように見えた。つまり彼はその鍛え上げられた肉体を、小綺麗な顔立ちを、荒野を思わせるどこか粗野な地上的雰囲気を、宇宙で働く優秀な頭脳を持つ女性たちに気前よく、かつ無料で解放しているだけなのだ。

  ……世の中の男からしてみたら、なんと羨ましい立場、だろう。

  俺は奴の、その無欲的な思想と立場とを憎んだ。いや、実際には、ベースで働く美しく優秀な女性たちの心をことごとく奪っていく奴に嫉妬していた。そして逢瀬の場面によくよく居合わせてしまう、自分の鈍くささや間の悪さについても、同じくらいの強さで憎んでいた。

  だがそれ以上に俺が刹那・F・セイエイを嫌うべき理由がある。俺が奴を、『根源的に』好きになることができない、絶対的な理由が。 




  あれは思い出したくもない金曜の遅い夜。

  新たな太陽炉の開発方法について頭を悩ませ、夜半過ぎにラボを出た時のこと。俺は例のごとく逢瀬の現場に出くわした。 

 ガンダム各機を見下ろす、天井の高いガラス張りの展望室。 

 薄暗く、人気のない静まり返った部屋の中で、一組の男女が肩を寄せ合っている。一人は刹那・F・セイエイだ。ここまでは別にいい。だが問題は、そしてそのかたわらにいた女の方だった。その見慣れたピンク色の髪と制服を目にした瞬間、体がこわばり、思わずその名を呟いた。

 「……フェルト」

  そんな、まさか。

  こんなことが。

 「うそだ」

  なんで君があいつの隣にいるんだ。 

 君はあいつの隣にいちゃいけない。いちゃいけないんだ。 

 君はこの男の正体を知らない。こいつはとんでもない男だ。なんの欲望もありませんという禁欲的な顔をして、それでいてみんなが知らないところで、いろんな女と簡単に寝るような男なんだ。女から求められたらなんの躊躇いも情緒もなく性交する男なんだ。

  君は純潔だ。俺はほんの少女だった時から君を知っている。君は四六時中大人たちに囲まれても、物怖じせず自分の与えられた役割を懸命にこなそうと頑張っていた。そしてもうすぐ二十歳になる君は、この組織の誰よりも強く気高く美しい女性に成長した。俺は、俺はずっとすぐ近くで、組織のために心を砕く君を見てきた。君はソレスタルビーイングの高尚な思想を体現した女神だ。なのに、それなのに。

  俺は今まさにこの目で見ているものを疑った。刹那・F・セイエイ。あの男が、すっと長い手を伸ばして、かたわらのフェルトの肩を抱いたのだ。どんな女に求められても、絶対に自分からは手を出さず、ただひとつのキスも与えず、受動的な行為に甘んじていたあの男が。 

 褐色の男の手が、彼女の細い肩を優しく撫でる。彼女は首を傾けて、奴の肩にゆるりと体を預ける。男の手がフェルトの肩を、二の腕を、腰を、そして指先を甘く愛撫する。愛おしそうに触れ合うその指と指、彼女の髪に口付ける刹那、見たこともないほど甘い微笑を浮かべるフェルトの顔を、俺はもう見ていることができなかった。音もなくその場を立ち去ると、自分の部屋に戻り、三日三晩、酒を飲んで暮らした。腹立たしいことに、それ以来、刹那・F・セイエイが組織の女と抱き合っているところを目にすることは一切なくなった。

  根源的な部分で、絶対的に好きになれない人間。

  俺にとってはそれは、刹那・F・セイエイという男なのだ。




0コメント

  • 1000 / 1000