「クリームソーダの国」:現パロ大学生 / 刹フェルと沙慈 / 小さな幸福のかたちについて

 僕が言うのもなんだが、僕の友人はたいそう変なやつだとおもう。まず食事の取り方がちょっと「普通」から逸脱している。こういうのを悪食と呼ぶのかどうか分からないけれど、日本人の僕には想像できないような取り合わせの食事を、平気でしていたりする。付き合いの長い僕はもう慣れてしまったけれど、それでもときどき、納豆ごはんと一緒に彼の好物である「メロンクリームソーダ」が付いてきたりすると、朝からうんざりすることがある。食事をとる時間帯もそうだが、眠る時間も毎日決まっておらずバラバラだし、僕と同じ博士課程の院生だというのに生態系がまるで読めない。きっと四角四面な性格の人だったら、彼の友人はまず努められないだろうと思う。

 僕は彼とここ二年のあいだ、中央線沿線のマンションの一室でルームシェアをしている。(マンションの名前は「パライソ」という。ふざけた名前だ)ねずみ色の築三十年のマンションは、きっと建設当時はハイソの部類に入るデザインだったのだろう。幾何学模様のあしらいがされた仰々しいベランダの柵は煤だらけだし、一階の郵便受け横に備えられた噴水は今や年老いた大家の巨大な金魚鉢と化している。駅まではどんなに急いだって歩いて二〇分以上かかるし、出かける張り合いのあるスーパーだって、歩いてゆける範囲にはない。

 こう書くと悪いことばかりのようにとられるかもしれないが、僕らがこの部屋を選んだ決定的な理由はその圧倒的な賃料の安さと、ルームメイトである彼が、「ここなら住めると思う」と家捜しのときにぽつりと呟いたことだった。僕の友人、刹那は、基本的に「整った暮らし」と呼ぶようなものに対して執着を見せないが、彼が快適に過ごすためにはいくつかの必要不可欠な要素があることを、僕は長い年月を通じて知っていた。大きな音が立つような場所はよくない。夜でも明かりがいらないほど眩しい街中はよくない。天井まで届くような、高い棚やチェストがある部屋はよくない。


「う」

 僕はリビングに入るや否や息を詰まらせた。へとへとに疲れ切って帰った深夜一時の我が家で、想像もしなかった光景が広がっていたからだ。

「おかえり」

「だれ、その子」

 僕は青白い室内灯に照らされた彼らに目をこらす。リビングの壁に背を預けて座り込む刹那。その膝に頭をもたげるような格好で、ひとりの見知らぬ女の子がぐったりと横になっていた。

「拾ってきた」

「拾ってきたって、きみ……」

 相変わらず説明のそぎ落とされた刹那の言葉に、僕はとまどいながらも資料の入った重い鞄を置いて様子をうかがう。力なく刹那に体を預けている彼女は、どうやら眠っているらしい。僕と刹那より少し年若いように見える。肌や髪の色から見て、どう見ても日本人ではない。

「どこで?」

「大学の近く」

「酔ってるみたいだな」

「無理やり飲まされていた」

 刹那の声に硬いものを感じ取って、僕は彼の顔を見た。いつもと変わらぬ無表情の中に、圧迫された怒りのようなものが垣間見えた。

「かわいそうに」

 僕が水を飲みながらそう言うと、刹那は自分の膝の上に乗る彼女の、形の良い後頭部に視線を戻してしまった。彼の左手が優しく彼女の背に添えられているのを、僕はしげしげと物珍しく眺めていた。そして彼女の眠る床のすぐそばに、刹那がいつもクリームソーダを飲むときに使っているデュラレックスのグラスが、飲み終わりそのままに置いてある。刹那は彼女にクリームソーダを「おみまい」したのだ。

 刹那はそう簡単に他人に気を許す人ではない。基本的には他者との交わりを避けて生きているし、友人だって僕以外にはいないと思う。その刹那が、同じ外国人とはいえ見知らぬ女の子を家に連れ帰って不器用に介抱しているのだから、僕にはそれが不謹慎だが面白く、微笑ましいことのように思える。

「つぶれてる子にこれ飲ませたの?」

 僕はクリームソーダのグラスを床から取り上げながら言った。

「飲むかと聞いたら飲むと言ったから作った」

「こういうときは水を飲ませるんだよ、刹那」

 そう言いながら僕はグラスを流しのシンクへ下ろす。冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルと、実家から送られてきてそのままにしておいた新品の毛布とを、押入れから引っ張り出した。

「床で寝たら風邪をひいてしまう。刹那、女の子は君のように床で寝ない」

 僕はゆっくりと刹那にそう説明する。刹那はこっくりとうなずいて、僕が渡した毛布で女の子の体を包んだ。僕が手を貸して彼女を抱き起こす。息苦しそうにうめいて、女の子がゆっくりと覚醒する。

「ああ、起こしちゃった」

「う……」

 その異邦人の女の子は青白い顔を僕に向けた。

「起こしてごめんね。でも、ちゃんとベッドで眠ったほうがいい」

 僕がそう言うと、彼女は朦朧とした目で僕を見つめたあと、右側で体を支える刹那を見上げた。もしかしたらあまり日本語が堪能ではないのかもしれない。刹那は何か僕の知らない言語を彼女の耳元で短く囁いた。

「ありがとございます」

 彼女はおぼつかない日本語で僕に言った。エメラルドグリーンの瞳が淡く光を帯びて、花がこぼれ咲いたような美しさだった。



 女の子の母国は僕の聞いたこともない大陸の小さな国だった。刹那は言語に才能があり、本人も言語学を専門にしているから、片言の日本語と英語しか話せない彼女ともなんとか意思疎通がとれるようだった。彼女の母語は僕が聞いても難解な呪文のような囁きだが、刹那に言わせてみればドイツ語とそう相違なく「京言葉と大阪言葉の違い」程度のものらしい。

 そしてそんな美しい彼女の名はフェルトと言った。翌朝、いくらか元気を取り戻した彼女に話を聞いてみれば、なんと三日前に来日したばかりの交換留学生らしい。寮の同輩に「歓迎会」と称して無理やり酒を飲まされて、いかがわしい店に連れ去られかけたところを、通りすがりの刹那が目にとめて助けたようだ。

「……ひどいことをする人間は、世界のどこにだっている」

 最寄り駅からマンションまで歩く最中、僕は刹那にぽつりと言った。平日の遅い午後、太陽は秋空に白く輝いていた。大学の事務所に行き、留学生担当の職員に事情を説明し、昨夜の寮の学生に対してしかるべき処分をしてもらうよう、強く求めた帰り道だった。フェルトは寮には戻らず、今日のところは女性職員の家にひとまず泊まる采配となった。

「あの子、国に帰っちゃうかな」

 隣で自転車を押す刹那は何も言わない。特に彼に返事を求めているわけではなかったので、僕は構わない。ただ、彼女に無体を働こうとした者のほとんどは日本人だった。勉学のために志高くこの国にやってきた未成年の女の子を、酒を飲ませ辱めようとした連中が腹立たしく、僕はこの国の人間としてひどく情けない気持ちになる。

「日本が嫌いになってしまったかな」

 そんな僕の心配とは裏腹に、刹那はあの日からちょっと変わった。あの日から一週間くらい、刹那は僕に対して妙によそよそしかった。僕は学業の忙しさにとりまぎれて、あの美貌の外国人の女の子について、あれこれ思いを巡らせることも少なくなっていたが、どうやら彼のほうは違っていたようだ。


 * 


 「サジさん、おかえり」

「フェルト、いらっしゃい。また来てたの」

 うん、とフェルトが僕に向かって微笑んだ。窓といえば東向きで、夕方ともなるとすっかり薄暗くなるこのリビングも、彼女がいるだけでぱっと和らぐように気持ちの良い空間になる。

「クリームソーダ?」

「覚えたね。いただくよ」

「いた……?」

「ああ。イエス、プリーズ」

 フェルトは勝手知ったる様子で棚からグラスを取り、冷蔵庫から氷を出してきてひとつひとつ丁寧に入れた。ここで先にメロンソーダを注いでしまうと刹那が顔をしかめるのを、彼女はもう知っている。グラスにぎっしりと氷を入れ、その上にバニラアイスをのせてから静かにソーダを注ぐのが、刹那のこだわりのレシピだ。

 そんな刹那はというとテレビの前のソファに深く体を預けて、いつものように本を読んでいた。僕は彼女がこの家に遊びに来るたびに、刹那が彼女を連れてきた二度目の夜のことを思い出して、ついつい顔がにやけそうになる。フェルトと初めて出会ったあの夜から一週間、刹那は彼女の引っ越しの世話をし、日本語を教え、生活に必要な知恵をレクチャーしてやっていたらしい。フェルトは今、僕らのパライソ・マンションの近くにある女子学生専用のアパートで一人暮らしをしながら、大学に通っている。

 ダイニングテーブルに落ち着いた僕にできたてのクリームソーダを手渡し、彼女はそのままゆっくりと刹那の隣へと戻っていく。そして彼の肩に頭を預けると、そのまま何を話すでもなく、二人はいつまでもいつまでもそうしている。

( 刹那、きみを日本に逃したマリナさんが今のきみを見たら )

 仲睦まじい恋人たちの姿に、僕はついそう口にしたくなる。マリナさんだけじゃない。僕の姉さんや、刹那、きみに日本語を教えたニール・ディランディがこれを見ていたら。これまでのきみに連なるすべての人がこれを見たら。きっと、いや絶対。泣いて喜ぶに違いない。

( 沙慈、今日から一緒に暮らすお友だちよ )

 僕の脳裏に、刹那と初めて会った十代の頃の記憶が蘇る。難民支援のNGO団体に勤めていた姉がホストマザーとなって、我が家に迎え入れたのが十六歳の刹那だった。彼の容姿のあまりの非現実性に、高校生の僕は正直、あっけにとられた。金色と茶色と桃色を混ぜたような肌の色と、血と砂を混ぜ合わせたような瞳の中の虹彩。その目をふちどる睫毛は日本人から見ればありえないほど長く黒い。食べ物も習慣も宗教も、なにもかもが僕とは異なる外国人。そんな彼の生まれた国の名前は、「クルジス」と言った。


( クルジス、クルジス、クルジス、)


 彼と僕が一緒に暮らし始めて一年が経ったころ。

 暗い部屋の中で、刹那がテレビの青白い画面に指を這わせていた。

 その国の名は永遠に世界地図から失われた。


 大きな音が立つような場所はよくない。爆音かと思って身構えてしまうから。夜でも明かりがいらないほど眩しい街中はよくない。夜じゅう投光器の白い光がさんさんと灯る難民キャンプを思い出すから。天井まで届くような、高い棚やチェストがある部屋はよくない。……倒れた家具や崩れた壁の下敷きになって、死んでいった家族を思い出すから。


 僕はずっとずっと考えている。この国が刹那にとっての「パライソ」であれと。


  バニラアイスが混ざり合った甘ったるいメロンソーダを飲み干して、僕は頬杖をついた。これでいい。どんなむき出しの悪意や理不尽な暴力が襲ってこようと、僕らは絶対にここに立ち返ることができる。楽園で飲むメロンクリームソーダの味を覚えている。

 刹那がソファで眠りこけて、隣に座る彼女の肩に頭を預けているところなんかを見ると、僕はすごく安心する。安心するし、この光景がどうかずっと続くことを、ただただ願う以外にないのだ。  


純情ヒエラルキー

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